今日のテーマは「自分の外見を整える」。
人を外見で判断することはよいことではない、と親に教わってきて、自分のこどもにもそう教えている人も多いかも知れません。
確かに、人を外見で判断することはよいことではありませんが、自分のことを考えたとき、外見で判断されることもある、という認識は必要なのが社会です。
人を外見で判断することはよくない。しかし、外見で判断されることは往々にしてある。
これは両方、正しいのかもしれません。
外見で判断すること、これがひどく差別的になると「ルッキズム」になります。
ルッキズムとはLooks(見た目、容姿)+ism(主義)を合体させた言葉で、「外見至上主義」。
見た目、容姿の美醜「だけ」で人を判断したり、差別したりすることです。
いま、国内外ではこの差別的なルッキズムの風潮を見直そうという流れがあり、たとえば、ファッションの世界でもやせすぎを数値で禁止するような流れや、プラスサイズのモデルが脚光をあびたりしています。
就職活動では「履歴書の写真貼付欄を削除しよう」という動きがあるとか、大学祭のイベントだった「ミスコンテスト」をやめる大学も少なからずあるようです。
しかし、問題なのは「差別的なルッキズム」、「外見至上主義」、であって、「みんな、見た目はどうでもいいじゃないか、内面だけが大切だ」、ということではないですよね。
人を外見だけで判断し、決めつけることはよくないですが、自分の外見を整えなくていい、ということではありません。自分の外見を整えることには、重要な意味があります。
それは、「自分を大切にする」ということ。そしてそのことが、人にも伝わること。
人は、整えられた外見を見て、「私のことも大切にしてくれそう」と感じるのだそうです。
ああ、あの人は自分を大切にしているな、だから、かかわった私のことも大切にしてくれるだろう……。
いかがでしょうか。
TPOにそぐわない外見、服装をしているとか、ぼさぼさの頭で出社するとか、「いいや別にこれくらいの外見で」というように、自分の外見をないがしろにしていると、それを見た人は「自分のことも大切にしてもらえない」と意識下で感じる、かも知れません。
なにか、どこか、心当たり、おありでしょうか。
気持ちのよい風の吹く輝く季節です。
一歩外に出る時は出る先なりに、誰かに会うならそれなりに、自分の外見を整えていきましょう。あくまで自分比ですが、ちょっとプラスして。
ความคิดเห็น